はじめに
スピッツの「楓」の、”さよなら、君の声を、抱いて生きてくだろう”という印象的な、忘れられないフレーズがある。その歌詞の意味、「楓」の魅力を深掘りしたい。
別れには、必ず「その後」がある。
終わった瞬間よりも、むしろ本当につらいのは、日常が何事もなかったように続いていく時間だ。
スピッツの「楓」は、別れの理由を語らない。
代わりに描くのは、別れたあとを生きていく人の姿である。
そしてこの曲は、時代を越えて、人生の節目を描く映像作品に選ばれ続けてきた。
スピッツ「楓」という曲の立ち位置
**楓**は1998年にリリースされた楽曲だ。
メロディは穏やかで、言葉も決して強くはない。
それでも、この曲が長く聴き継がれているのは、
「前向きな希望」でも「悲しみを打ち消す」でもない、
現実的な感情を描いているからだ。
「楓」は、やり直しを約束しない。
だが、すべてを無意味にもしていない。
その曖昧さこそが、この曲の強さだ。
A
「楓」が象徴するもの──なぜ“楓”なのか
楓は、季節によって姿を変える木だ。
春に芽吹き、夏に茂り、秋に色づき、やがて葉を落とす。
この曲における「楓」は、
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人生のある一時期
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かつて確かに存在した関係
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もう戻らない時間
を象徴している。
常緑樹ではないからこそ、
そこには「永遠」の嘘がない。
変わってしまったことを、そのまま受け入れる。
それが「楓」というタイトルに込められた感覚だ。
「さよなら 君の声を抱いて歩いていく」の意味
この一行は、「楓」という曲の核心である。
ここで歌われているのは、
忘れることでも、断ち切ることでもない。
声を抱いて生きるという選択だ。
声とは、言葉だけではない。
笑い方、沈黙の間、呼ばれた名前。
もう会えなくなった相手の存在そのものだ。
それを否定せず、
かといって過去に縛られることもなく、
抱えたまま歩いていく。
このフレーズは、別れを経験した人間がたどり着く、
とても静かで、現実的な強さを語っている。
A
映画『楓』──主題歌であり、原案でもあるという特別な位置づけ
2025年公開の映画
楓
において、スピッツの「楓」は単なる主題歌ではない。
この映画は、楽曲そのものを原案として物語が組み立てられている。
ここが、とても重要だ。
多くの映画では、完成した物語に「合う曲」が選ばれる。
だが『楓』は逆だ。
先にあったのは、
「さよなら 君の声を抱いて歩いていく」
という、たった一行の感情だった。
映画は、その感情を
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誰が
-
何を失い
-
それでもどう生きていくのか
という形に、丁寧に展開していく。
つまりこの作品は、
「楓」という曲の世界観を、物語として翻訳した映画と言える。
だからこそ、音楽は感情を盛り上げるための装置ではなく、
物語の“背骨”として存在している。
登場人物たちは、何かを取り戻そうとはしない。
ただ、失ったものを胸に抱えたまま、前へ進もうとする。
それはまさに、
「楓」が最初から歌ってきた人生の姿そのものだ。
年を重ねるほど、この歌が沁みる理由
若い頃に聴いた「楓」は、失恋の歌だった。
だが、人生を重ねると、この曲は別の顔を見せる。
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叶わなかった夢
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別れた人
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もう戻らない時間
誰にでも、声として残っている記憶がある。
「楓」は、それを無理に手放さなくていいと言ってくれる。
だからこそ、年を重ねた今、深く胸に落ちる。
A
まとめ
スピッツの「楓」は、
別れを美化しない。
だが、無意味にもしていない。
失ったものを抱えたまま、
それでも人生を続けていく人のための歌だ。
さよなら。
でも、忘れない。
君の声を抱いて、
今日もまた、歩いていく。

