この曲が好きな理由は、正直とても単純だ。 自分の車が青い車で、インスタにその写真を載せるとき、 いつも頭の中でこの曲が流れているから。
深い意味があったわけでもない。 名曲だと語りたいわけでもない。 ただ、「この曲、合うな」と思った。それだけだった。
でも、何度も使っているうちに、 ふと考えるようになった。 なぜ、この曲は「青い車」なんだろう、と。
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スピッツ「青い車」基本情報
- リリース: 1994年
- 収録アルバム: 『空の飛び方』
- 作詞・作曲: 草野マサムネ
- タイアップ: なし
スピッツの代表曲の一つでありながら、シングルカットされていない隠れた名曲。「ロビンソン」や「チェリー」のような派手さはないものの、静かに深く心に残る楽曲として、多くのファンに愛され続けています。
「青い車」は心中の歌?死の歌?よくある誤解とは
ネット上でささやかれる「心中説」
「青い車」を検索すると、必ずと言っていいほど出てくるのが「心中の歌」「死を扱った曲」という解釈です。
その根拠となっているのが、歌詞に登場する**「輪廻の果てへ飛び降りよう」**というフレーズ。
このフレーズだけを切り取ると、確かに死や心中を連想させる言葉です。「飛び降りよう」という表現は、物理的な行為を想起させるため、破滅的な愛の物語として解釈する人が一定数いるのも理解できます。
しかし、曲全体のトーンは「破滅」とは真逆
ところが、この曲を最初から最後まで聴いてみると、圧倒的に静かで、穏やかで、どこか諦めを含んだ温度感なのです。
激情もなく、破滅に向かう覚悟もない。 ただ淡々と、感情の温度が低いまま進んでいく。
死に向かう曲なら、もっと感情が高ぶるはずです。 けれどこの曲は、終始「冷静」なのです。
そこに違和感があります。 だからこそ、「心中の歌」という解釈には慎重になるべきだと私は考えています。
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「輪廻の果てまで」の本当の意味とは
「輪廻」とは何か
まず、「輪廻」という言葉の意味を整理しましょう。
**輪廻(りんね)**とは、仏教用語で「生まれ変わりと死の繰り返し」を意味します。つまり、終わることのない循環です。
ここで重要なのは、輪廻は「終わり」ではなく、**「続いてしまうこと」**だという点です。
「果て」という表現の矛盾
では、「輪廻の果て」とは何か。
輪廻には本来「果て」がありません。それなのに「果てまで」という表現を使うことで、草野マサムネは**「終わらない感情」**を描こうとしたのではないでしょうか。
忘れたと思っても、ふとした瞬間に思い出してしまう。 もう終わったはずなのに、気配だけが残る。 前に進んでいるつもりなのに、完全には切れていない。
そんな「終われない想い」を、「輪廻の果て」という矛盾した言葉で表現したのだと思います。
「飛び降りよう」は死を意味しない
「飛び降りよう」という表現も、物理的な意味ではなく、感情の跳躍を示していると考えられます。
- 日常から抜け出そうとする衝動
- 今の状況を変えようとする決意
- 答えの出ないまま、それでも動こうとする気持ち
死を選ぶのではなく、答えのないまま進もうとする決意。それが「飛び降りよう」という言葉に込められているのではないでしょうか。
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なぜ「青い車」なのか?色と乗り物が持つ意味
「青」という色が持つ象徴性
この曲のタイトルは「青い車」。 なぜ、赤でも白でもなく「青」なのでしょうか。
青という色は、情熱的でも絶望的でもありません。
- 少し冷えている
- 少し距離がある
- でも空や海につながっている
感情の温度が低めのまま、それでもどこかへ続いていく感じ。
それが「青」という色が持つ独特の距離感です。
「車」という乗り物の持つ意味
そして「車」。
車は、目的地がなくても走れてしまう乗り物です。
- 歩くより速い
- でも飛ぶほどではない
- ただ「進んでいる状態」を続けるための道具
答えが出ていなくても、覚悟が決まっていなくても、とりあえず走り続けることができる。
それが車という乗り物の特性です。
「青い車」= 答えのないまま進む姿
つまり、「青い車」とは、答えも覚悟も決まっていないまま、それでも前に進んでいる人間の姿そのものなのだと思います。
華やかでもなく、悲劇的でもなく、ただ淡々と、でも確実に進んでいる。
そんな状態を、スピッツは「青い車」という言葉で表現したのではないでしょうか。
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実体験から語る:なぜこの曲が日常に寄り添うのか
私がこの曲を好きな「単純な理由」
正直に言うと、私がこの曲を好きな理由は、とても単純です。
自分の車が青い車だから。
インスタグラムに愛車の写真を載せるとき、いつも頭の中でこの曲が流れています。
深い意味があったわけでもない。 名曲として語りたいわけでもない。 ただ、「この曲、合うな」と思った。それだけでした。
何度も聴くうちに気づいたこと
でも、何度も使っているうちに、ふと考えるようになりました。
なぜ、この曲は「青い車」なんだろう、と。
そして気づいたのです。
この曲が描いているのは、特別な瞬間ではなく、日常の中の何気ない時間だということに。
スピッツの音楽が持つ「溶け込む力」
スピッツの曲は、「よし、聴こう」と構えて向き合う音楽ではありません。
移動中や作業中、何気ない時間に溶け込んで、気づけばそばにある。
主張しすぎないのに、なぜか残る距離感。
「青い車」も同じでした。
最初はメロディと空気感だけ。歌詞を深く追っていたわけでもない。
それでも、車の写真と一緒にこの曲を思い出す回数が増えるにつれ、いつの間にか**”自分の日常のBGM”**になっていたのです。
A
「前へ進め」と言わない優しさ
背中を強く押さない曲
「青い車」は、背中を強く押してきません。
でも、立ち止まれとも言いません。
ただ、迷いながら走っている時間そのものを否定しないのです。
人生も同じ
人生でも同じです。
- 目的地がはっきりしない時期もある
- 自分の速度が遅く感じることもある
- それでも、車は走っている
この曲は、そんな状態を**「それでいい」と静かに認めてくれます。**
答えが出ない時間を肯定する力
多くの楽曲は、「前を向け」「頑張れ」「諦めるな」とメッセージを投げかけます。
でも「青い車」は違います。
答えが出なくても、覚悟が決まらなくても、ただ進んでいる状態をそのまま肯定してくれるのです。
それが、この曲の持つ独特の優しさだと思います。
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まとめ:「青い車」が伝えるメッセージ
心中説ではなく、「終われない感情」の歌
「青い車」は死の歌でも心中の歌でもありません。
この曲が描いているのは、きっぱり終われない感情を抱えたまま、それでも日常を生きていく人間の姿です。
- 忘れたと思っても、ふとした瞬間に思い出す
- 前に進んでいるつもりなのに、完全には切れていない
- 答えは出ないけれど、それでも走り続ける
そんな中途半端な状態を、否定せずに認める曲なのです。
好きな理由は単純でいい
インスタに載せる車の写真は、特別な場所じゃないことが多い。
映える景色でもない。
ただ、いつもの道、いつもの時間。
それでも、この曲が似合う。
それだけで十分だと思えてくる。
好きな理由は単純でいい。
生活に合う曲は、強い。
「青い車」は今日も走っている
スピッツの「青い車」は、いつの間にか、自分の人生の風景と結びついていました。
青い車は、今日もどこかを走っています。
答えが出なくても、覚悟が決まらなくても、それでも前に進んでいく。
そんな私たちの姿を、この曲は静かに見守ってくれているのです。


