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『もうひとつの土曜日』が愛され続ける理由──浜田省吾とさんまが交わした意外な会話

浜田省吾

浜田省吾の代表的なバラード「もうひとつの土曜日」。都会で生きる孤独や、報われない恋の切なさを描いたこの曲は、1986年の発表以来、世代を超えて愛され続けています。そんな名曲には、実はお笑い芸人・明石家さんまと交わした“意外な接点”があるのをご存じでしょうか。伝説と語られるラジオでの対談エピソードを交えながら、歌詞に込められた普遍的な魅力をひもといていきます。

歌詞に映し出される情景

冒頭から、恋人を待ち続けて泣いたであろう女性の姿が浮かび上がります。彼女は「ただ週末のわずかな彼との時をつなぎ合わせて生きている」。この一節には、都会で暮らす女性の切実な心情がにじんでいます。

彼女にとって週末の逢瀬は、平日を支える唯一の希望です。人波に押され、夕暮れの電車に揺られてアパートへ帰る日常の疲れ。そのすべてを忘れさせてくれるのが、彼と過ごす限られた時間です。けれど、その時間が「わずか」であるからこそ、胸の奥にどうしようもない寂しさも生まれてしまう。幸せと孤独が背中合わせになり、彼とのひとときが輝けば輝くほど、別れ際の切なさは強くなるのです。

まるで短編小説のように描かれるこの場面は、聴く人自身の記憶と自然に重なります。かつて「会えるだけで生きていけた時間」を過ごした経験のある人なら、誰もが胸の奥を突かれるでしょう。

歌詞はとても映像的です。夕暮れの電車、人波に押される疲れた表情、オンボロ車で海へ向かう夜。聴いていると、自分もその場にいるような感覚になるのです。


「不倫の歌」説と誤解

明石家さんまが冗談めかして「不倫の歌やろ」と言ったことでも有名ですが、浜田省吾自身はそのように語っていません。むしろファンの多くは、この歌を“報われない愛”や“切ない恋”の象徴として受け止めています。

「週末しか会えない」という制約は、必ずしも不倫を意味するものではなく、都会の片隅で必死に恋をつなぎとめようとする二人の姿を映し出しているとも言えるでしょう。


主人公の視点と葛藤

この歌のもう一つの面白さは、歌詞の語り手=「俺」の存在です。彼は女性を想いながらも、時に「君を裁こうとするその心が俺を傷つけてしまう」と吐露します。そこには、ただの慰め役ではない複雑な感情、つまり「好きだけれど、自分も苦しい」というリアルな心情が込められています。

そしてクライマックス。オンボロ車で海に走り出し、「この夜は俺にくれ」と願う場面。指輪を差し出し、「この心を受け取って欲しい」と歌うラストは、報われない想いの中に、ささやかな希望の光を見せてくれます。


普遍的な魅力

「もうひとつの土曜日」が世代を超えて愛される理由は、単なる恋愛の歌を超えているからでしょう。孤独や葛藤、そして小さな希望。そのどれもが、誰もが一度は通り過ぎる感情です。

浜田省吾は派手な装飾をせず、短編小説のように人の心のひだをすくい取ります。この曲を聴くたびに、聴き手の人生のどこかと重なり、忘れていた記憶を呼び覚ましてくれるのです。


おわりに:心に残る“もうひとつの物語”

「もうひとつの土曜日」は、ただのバラードではありません。誰もが持つ「報われない想い」と「それでも誰かを想い続ける強さ」を歌った、普遍的なラブソングです。

静かな夜にこの曲を聴けば、自分の過去の恋や孤独の瞬間と重なって、まるで“自分の歌”のように響いてきます。だからこそ、この歌は今も人々に愛され続けているのでしょう。