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スピッツの『ロビンソン』歌詞に込められた本当の意味

スピッツ

スピッツの「ロビンソン」は、何度聴いても不思議な曲だと思いませんか?
明るく、口ずさみやすいメロディなのに、歌詞を追うほど「よく分からない」と感じてしまう。

恋の歌のようで、はっきり恋だとは言い切れない。
別れの気配があるのに、悲しみに突き落とすわけでもない。
分かったような気がして、つかみきれない。

それでも、この曲は不思議と心に残り続ける。
その理由は、「意味が難しいから」ではない。
意味をひとつに決めさせないところにあるのではないでしょうか。





ロビンソンは「分からなくていい」ように作られている

「ロビンソン」の歌詞には、明確な物語がない。
誰が語っているのか、相手は誰なのか、二人はどうなったのか。
どれも断定されない。

これは偶然ではない。
スピッツは意図的に、説明を避けている。

歌詞は、現実を描写するための文章ではなく、
感情が言葉になる直前の揺らぎをすくい取ったものだ。

だから読者は戸惑う。
そして、その戸惑いこそが、この曲の入口になる。




A


「誰も触れない 二人だけの国」が示すもの

”誰も触れない 二人だけの国”という一節は、
この曲の中でも特に現実感が薄い。

けれど、ここで描かれているのは空想の世界ではない。
それは、恋愛でも人生でも、誰もが一度は入り込む
他人には説明できない、二人だけの関係性だ。

誰の承認もいらない。
でも、永遠ではないと、どこかで分かっている。

だからこそ、「君の手を放さぬように」という言葉が出てくる。
失わない自信がある人は、こんなふうに言わない。
これは、壊れそうなものを必死につなぎ止めようとする心の声だ。


空に浮かび、宇宙の風に乗る理由

”大きな力で 空に浮かべたら
ルララ 宇宙の風に乗る”

ここで歌詞は、完全に現実から浮き上がる。
論理的に考えれば、意味は分からない。

でも、それでいい。

この場面は、
現実から逃げたい気持ち、
時間を止めたい願い、
失われる前の一瞬の高揚、
それらをまとめて音にしたものだ。

言葉で説明できないからこそ、
「ルララ」という意味を持たない音が使われる。

この部分が不思議に聴こえるのは、
聴き手がちゃんと現実側に立っている証拠でもある。





なぜロビンソンは、悲しいのに優しいのか

この曲には、怒りがない。
誰かを責める言葉もない。
後悔や絶望を叫ぶこともしない。

別れや孤独を描きながら、
それを否定しない。

だからロビンソンは、
聴く人の過去をそっと呼び起こしても、
深く傷つけない。

失ったことそのものより、
そこに確かに存在していた時間を大切に扱う。

その距離感が、この曲を優しくしている。




A


聴くたびに意味が変わる理由

若い頃は、
ロビンソンは分かりにくい恋の歌だったかもしれない。

年を重ねると、
それは人生の分岐点の歌に変わるようになります。

人との距離が変わったとき。
同じ場所にいられなくなったとき。
理由もなく、道が分かれていったとき。

曲は変わらない。
変わるのは、聴く側の人生だ。

だからこの曲は、
何度も意味を更新しながら、心に残り続ける。





まとめ:分からないまま残るから、名曲になる

「ロビンソン」は、
理解した瞬間に終わる曲ではない。

分からないまま、
少し引っかかったまま、
人生の節目でふと戻ってくる曲だ。

難しい。
でも、その難しさは拒絶ではない。




A

最後に ― 個人的な一言として

個人的な話をひとつだけ。
私がスピッツを好きになったきっかけも、やはりこの「ロビンソン」だった。

正直に言えば、意味は当時も今も、はっきり分からない(笑)。
でも、それが不思議と気になって、何度も聴いてしまった。
分からないのに、なぜか残る。
その感覚が、そのままスピッツというバンドの印象になった。

それから知って、少し笑ってしまったのが、
浜田省吾と同じ事務所だったという事実だ。

歌の世界観も、表現の仕方も、まったく違う。
でも、どちらも「説明しすぎない」「聴く側に委ねる」という点では、どこか似ている気がする。

ロビンソンは、やっぱり難しい曲だ。
けれど、その“分からなさ”こそが、
何年経っても聴き返したくなる理由なのだと思っている。