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なぜ『ルビーの指環』は昭和最大のヒット曲になった?

80~90年代

はじめに──『ルビーの指環』と私の記憶

昭和56年(1981年)2月にリリースされた寺尾聰の『ルビーの指環』。
当時は「大都会」シリーズや『西部警察』でクールな俳優として活躍していた姿が印象的で、音楽活動でも大きな注目を集めました。特にテレビ番組「ザ・ベストテン」では 12週連続1位 を記録し、『SHADOW CITY』『出航(さすらい)』とあわせてベスト3を独占する週もあったほど。

18歳の頃、渋い大人の魅力に憧れた記憶とともに、今回は名曲『ルビーの指環』を深掘りしていきます。


なぜ『ルビーの指環』は大ヒットしたのか?

1. 時代背景と音楽シーン

1980年代初頭、日本はバブル景気を迎える直前。
ファッションやライフスタイルが都会的に変化し、音楽も従来の歌謡曲から ニューミュージックやシティポップへ移行する過渡期 にありました。
『ルビーの指環』は歌謡曲のメロディとシティポップ的で新鮮さ、まさに新しい時代が求めていた“大人のサウンド”を体現した楽曲でした。

2. 「ザ・ベストテン」の影響

音楽番組「ザ・ベストテン」での演出は、ヒットの追い風となりました。
シンプルながら都会的で大人の雰囲気を漂わせるステージングが視聴者の心を掴み、テレビを通じて社会現象化。結果として、“都会的な大人の失恋ソング”として幅広い層に浸透しました。


歌詞の魅力を深掘り

『ルビーの指環』の歌詞は、作詞家・松本隆によるもの。

  • 情景描写と心理描写が絶妙に絡み合う表現力

  • 「ルビーの指環」というモチーフが、愛の証でありながら別れの象徴として登場

  • 残された“赤い輝き”が、失恋の痛みと鮮烈な記憶を象徴

普遍的なテーマである「失恋」を、都会的で洗練された大人の視点で描いたことが、世代を超えて心に響き続ける理由です。


寺尾聰という存在感

1. 俳優としてのキャリア

もともと俳優として人気を得ていた寺尾聰。その落ち着きと端正な顔立ちが、楽曲の世界観と自然に重なり、歌詞にリアリティを与えました。

2. クールな低音ボイス

力強さではなく“余韻”で聴かせる低音ボイス。
都会の夜を連想させる歌声が、楽曲に唯一無二の魅力を添えています。

3. アルバム『Reflections』の完成度

『ルビーの指環』を収録したアルバム『Reflections』は、シティポップ的サウンドと大人の情緒を融合させた名盤。シングルヒットを超えて、寺尾聰を“音楽的評価の高いアーティスト”へ押し上げました。


『ルビーの指環』の文化的インパクト

  • ファッションへの影響:サングラスやスーツ姿は“大人の男の色気”の象徴に

  • 言葉の浸透:「ルビーの指環」というフレーズ自体が流行語のように広まる

  • 音楽的評価:シティポップ再評価の流れの中で、近年も改めて注目される存在に


まとめ──永遠の余韻を残す名曲

『ルビーの指環』は、1981年という時代の空気を捉えながら、普遍的な愛と別れを描き出した名曲です。
松本隆の詩的な歌詞、寺尾聰の低音ボイス、そして都会的なサウンドが融合し、40年以上経った今も色褪せません。

当時、寺尾聡に憧れ、サングラスと洒落たスーツ着て街を歩いて、同じような格好の人とすれ違い、女性の方は、渋い寺尾聡に憧れませんでしたか?

失恋を“美しい余韻”として表現した普遍性こそが、今なお人々を惹きつける理由。
寺尾聰の大人の魅力とともに、『ルビーの指環』はこれからも多くの心に響き続けるでしょう。