同じ曲でも、聴く年齢や状況によって全く違う顔を見せてくれること、ありませんか? 浜田省吾の「きっと明日」も私にとってそんな一曲です。若い頃は恋の歌として響き、今では日々を支える応援歌のように寄り添ってくれる――音楽の不思議さをあらためて感じています。きっとあなたにも、そんな風に寄り添ってくれる曲があるのではないでしょうか。
この記事では、「きっと明日」の歌詞に込められた意味を解説しながら、登山やブログ執筆というわたし自身の体験を交えて、この曲の魅力を掘り下げていきます。
『きっと明日』の基本情報
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発表:2015年4月29日
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収録アルバム:『Journey of a Songwriter ~旅するソングライター』
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アルバムの位置づけ:17年ぶりとなるオリジナルアルバムで、キャリアの集大成的な意味を持つ作品
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曲の特徴:穏やかなメロディの中に、前を向かせる力強さが込められている
『Journey of a Songwriter』というアルバム全体が「人生」「旅」「未来」への眼差しをテーマにしており、その中で「きっと明日」は柔らかくも力のある光を放つ一曲です。
歌詞に込められた意味
ラブソングとしての「きっと明日」
恋人や大切な人と共に歩んでいけば、どんな困難な日々も越えていける。
「明日」への希望を、愛する人に託すメッセージとして受け止めることができます。
応援歌としての「きっと明日」
一方で、この歌は個人の孤独や不安に寄り添う応援歌でもあります。
「今日がうまくいかなくても、きっと明日は変わる」
そんな小さな希望をそっと与えてくれる。励ましすぎず、押しつけもせず、聴く人に自分自身を信じさせてくれるのが浜田省吾らしさです。
わたしの人生と「きっと明日」
人生の充実期:恋の歌として
2015年、10年前の50歳過ぎた頃、わたしはこの曲を完全にラブソングとして聴いていました。
ふと夜に車を走らせて聴いたとき、「明日は大丈夫だ」と信じられた瞬間を今でも鮮明に覚えています。
人生成熟期:応援歌として
50代後半、60代になると、解釈は変わりました。
深夜のオフィスを出て、疲れ果てた帰り道に聴くと、それは恋人ではなく“自分自身”に向けられた言葉のように響いたのです。
「きっと明日」というフレーズは、心が折れそうな自分をもう一度立ち上がらせてくれました。
山旅の中で響いた「きっと明日」
登山をしていると、山頂に届かない日があります。天候や体力、さまざまな要因で「今日はここまで」と引き返す決断をする。そんな時に思い出すのが「きっと明日」というフレーズです。
「今日は駄目でも、きっと明日はまた登れる」――山と人生の重なりを教えてくれる瞬間です。
ブログを書く今の僕にとって
今は机に向かい、ブログを書く日常の中でこの曲を思い出します。
言葉が出なくて手が止まるとき、「今日書けなくても、明日また書けばいい」と思わせてくれる。
ブログも登山と同じで、一歩ずつ積み重ねることでしか景色は見えません。この歌は、そんな日常の支えになっています。
まとめ|普遍性を持つ歌
「きっと明日」は、ラブソングであり、応援歌であり、そして人生そのものに寄り添う歌です。恋人との思い出、社会人としての孤独、山旅での挫折、そして日常の机の前――わたしにとってさまざまな場面で響いてきました。
浜田省吾の音楽は、どんな時代も、どんな状況にあっても、人の心にそっと寄り添い続けてくれる力を持っています。
あなたにとって「きっと明日」は、どんな瞬間に響いてくるでしょうか。


